私が「中村千波」であるために。
京都へ帰るたった1つの理由

vol.01

中村千波

Profile

1992年、京都に生まれ大学卒業まで京都で過ごす。大学時代は幼少期に感じた家族関係への違和感がきっかけで「納得できるキャリア形成」に興味を持ち、NPO法人グローカル人材開発センターや株式会社インテリジェンスオフィス、京都府立大学等と協働しキャリアイベントを企画。卒業後、株式会社リクルートキャリアにて中途人材紹介領域の法人営業に従事。

京都に生まれて

京都の中京区あたりの病院で生まれ、一時は福井県で過ごすも、保育園から大学まで、ずっと京都で生活をしてきた。

そのため私にとって京都とは「見知っているため心身ともに安心出来る場所、学生時代に共にたくさんのものをつくりあげた仲間がいる場所」だと思っている。

心身ともに落ち着ける場所であるがゆえ、帰省をする時に求めるものは「リラックスが出来るかどうか」。

帰省の度に大学時代に出会った仲間とご飯を食べる、しかも慣れ親しんだ木屋町や先斗町、四条烏丸にて、という行動がルーティーン化していた。

この先、どう生きていこうか?

ルーティーンも6年目に突入。そう、私は社会人6年目になり、東京での生活も6年目になっていた。仕事のなんたるかもある程度は身に着いてきた感覚はある。

けれども、ふ、っとした時に感じる、

「この先どうなっていくんだっけ? そのプランにわくわくしてる?」

その問いに答えることが出来ない自分がいた。

そんな最中、人生のダメージ2、3位を争う大失恋を経験し、「ますますこの先どうしようか?」と悩みが増えた。

とりあえず仕事とお金は裏切らない、の精神で、仕事、仕事、仕事と働きまくった結果、パソコンを開いたら涙が出るメンタル崩壊寸前まで到達してしまった。

自分の心身が悲鳴を上げていることを感じ、「ひと休み、鴨川が見たい」の一心で帰省を決意。

ありがたいことに、本業では長期休暇が奨励された制度があり、それを活用させていただいて、まるまる1週間、京都へ帰ることにした。

人生を1周してしまうくらいの、
濃厚な出会いと対話と。

「1週間も過ごしたら何か心身変わるのかな?」そんな実験的な感じで、ほんの少しワクワクした気持ちと疲労感を持って帰省した初日。

初日にも関わらず、東京に長くいたことで変わっていた自分の感覚の変化感に気づいてしまった。

それは本当に何気ないこと。

ドラッグストア大好き人間なのでいつもどおりスキンケア用品を購入するためレジに並んでいるとき。

目の前のおばぁさまが店員さんとレジで世間話。その様子に私は、「はよしてよ」といらついていた。
こんな小さなことにいらつく私。

東京では、ドラッグストア、コンビニ共に「すぐに用を済ませられる場所」。だから、目の前にいるおばあさんと店員の他愛もない会話にいらついてしまった。私には日常のスケジュールをいかに速くこなすかに目がいってしまい、会話を楽しむ余裕すらなくなっていたのだ。

心の許容量の変化、東京の合理化に染まっている自分に気づいた。

そう気づいたとき、「こんなに生き急ぐ必要て本当にあるんだっけ?」と、自分自身に問いかけている自分がいた。

ただただ幸せを感じる自然のパワー
(鴨川・くた)

このエピソードだけではない。さらに自分の価値観に気づく。
今回の帰省では、自然と接する機会を多く持てた。今回私が訪れたのは、限界集落と呼ばれる久多地域の友人宅、花背地域の外国人夫婦のレストランや鴨川、大文字山。東京では感じられなかった幸福感を知った。

ただ月を見てるだけで、ただ川の音を聞いているだけで、ただ山を登るだけで幸せ、と感じる。満たされている。
反して東京での私の心の満たし方は……?

化粧品や洋服も大好き。サウナもジムも好き。けれどもそれらはお金を払って、消費して得られるもの。しかも、一時的に満たされるもの。

対して自然と隣り合わせの生活は、「ただありのまま」そばにいるだけで私はこのままでいいんだ、と許されている感覚になれる。 久多にいる友達が言っていた。

「東京はデザインされている街。デザインとは、物事の用途が決まっていること。その用途をいかに短時間で多くこなせるか、を追ってしまうから疲れるんだと思う」

気づかないうちに、デザインとデザインの間の余白を楽しむことがなくなっていたのかもしれない。

さらに私の新たな価値観を植え付ける体験は続いた。

「どこにいるか」で人の価値観は創られる。

東京での私は「なるべく感情の浮き沈みを出しすぎない」ことを大切にしていた。なぜなら、ダメだと言われているから。

半ば私のアイデンティティを否定されている状態でもあるけれど、社会人というレッテルに応える様に、時折感情を封印することもある。

この1週間の旅で、私は自分を解きほぐしてくれている存在に気づいた。

もちろん、前述した自然に溶け込むことからも得られたのだけれども、それだけではなく「人」も、私を解きほぐしてくれたのだ。

学生時代に関わっていたNPO法人の仲間、
「SHISHIN SAMURAI CAFE BAR」という一見すると怪しげだけれども素敵なお店を運営している仲間、そして今回初めてお会いした、元遊郭建築をリノベーションした複合施設「UNKNOWN KYOTO」コミュニティーマネージャーのさおりさん。
彼らとの会話は、「あなたは何をしている人?」と「Doing」にフォーカスをするのではなく「何のためにしているの? どうなっていきたいの?」と「Being」についてのお話ばかり。

それらに優劣はなく、否定をされることもない。

どうしても人の目を気にしてしまう私は、東京でも「リクルート」という看板のおかげで自分が構成されているのでは、と不安になることもある。

けれども京都で出会う仲間たちとの会話は、感情含めた価値観を話し合うことばかりで居心地もよく、「物事の本質って何だっけ? もっと自分を出してもいいじゃん! ありのままでいいじゃん!」と中村千波本体で生きている心地になった。
さおりさんがハッとすることを言っていた。

「東京では、感情よりも、なぜそれを“する”のかがフォーカスされていて、“なぜ”それをするのかは、そんなに見られていない気がする。 何が求められているがすっとばされている気がする」

その一言で、気づいてしまった。

私はビジネスマンとして事業を大きくすることには興味はない。

けれども、「何のために、どうありたいのか」、それを人に対して追求できる人、人間として度量を大きく持てる人──そんな人に、成長したいのだ。

「私と京都と、これから」

あっという間の1週間を終えて、大切な人生観を京都で見つけてしまった。

私のとっての京都は、「人として大きくなれる場所。自分をありのまま受け入れ、満たしてくれる場所」だと気づいた。

思いついたらすぐに動き出してしまう私は、京都で働く、に向けて行動し始めた。

結果は分からない。

合わせて、京都の人や自然との結びつきを強められるよう、京都のとあるコミュニティへ関わることにした。
最後に。決して東京を否定したいわけじゃない。

東京での「欲をすぐに満せる」環境のおかげで、たくさんの新しい経験をさせてもらった。

そこでの暮らしがあったからこそ京都との違いに敏感になれたのだから、東京にはすごく感謝している。

「おとなは、ながい。」とイオンウォーターの広告が言っていた。私も、まだまだ続く新たな「Being」との出会いをワクワクし続けていたい。

18年間生きた町「原谷」へ、
10年ぶりのただいま。

いつの間にか民家との背丈も近くなり、
自分自身が変わっていったことを感じた。

桜の季節だけ有名になる私の地元に、
スポットライトが当たることはあまりない。
けれども、心動かす持ち物を持っている原谷は
大人になった私にとって誇りに感じる。

京都で一番の抱擁力を持つ圧倒的存在

京都といえば、
金閣寺や清水寺と連想する人が多い中で、
私にとっては「鴨川」一択。

何か辛いことがあったら訪れたくなる。
何をしてくれるわけではないのに、全て包み込んでくれる。
京都を離れていても、ふ、と思い出させる圧倒的な存在だ。

そこには時代を超えた暮らしが生きていた

元遊郭建築を活かした「UNKNOWN KYOTO」の中には、
100年以上の歴史を共に過ごした家具もある。
一人で泊まっているのに、誰かがいてくれている安心感。

仕事をすることも、寝ることも、食べることも自由で、
ビジネスホテルでもと同じことが出来るはずなのに。

お酒とお喋りする、大切な時間

実はお酒はそんなに得意ではない。
お酒=嫌な気持ちを一時的に晴らすもの、が私にとってのお酒。

けれども造り手が目の前にこいて、こだわりを話してくれて。
その人がお酒にどれだけ向き合ったのかが直に感じられる。

自分の気持ちを晴らすものではなく、
その人の想いを味わい対話する格別なものに変わる。

社会人になったからこそ分かる、五条の良さ

学生時代は「とりあえず四条」で買い物をして飲みに行って。

けれどもその営みが一周まわってみると、
下流になり緩やかになった鴨川と、
人の数も店の数も程よい五条に足が向く。

五条、白川、原谷。
大好きな場所を全て抱きしめてくれる大文字山

幼少期には遠足で「登らなくてはいけない場所」だったが
今では「登りたい場所」に。

ここでは、山々が京都を抱きしめている姿を
目でも鼻でも、五感で感じられる。
別に何かすごい人にならなくても、
寂しくならないと思わせてくれる圧倒的な安心感がここにはあった。
文  ー 中 村 千 波
編集 ー あ か し ゆ か
写真 ー Misa Shinshi